鳥越修治の「視点」

 久しぶりに鎌倉を訪ねた。鎌倉駅を降りて若宮大路口の改札を出ると、すぐ右にTOKYUの建物がある。そこに掲げられた「ぐるめプラザ109」のサイン文字が目に映った。懐かしいデザインでネーミングからロゴタイプデザインまで手掛けたころを思い出す。1975年の制作である。その後、東京・渋谷の道玄坂下交差点にファッションビルとして銀色の円筒形のビルが建設され、79年に「109」のロゴが採用されることになった。

 このころ、企業はネーミングやロゴの重要性を認識し、企業のシンボルマークやロゴタイプデザインの創成期でアイデンティティーの導入期でもあった。「109」の意図したところは多様性に富み、特定業種の意をもたないイメージネーミングで記憶性が高いこと、個性的で視認性に強いことなどであった。

 渋谷の「109」は、オープンの頃はファッションコミュニティー「109」と称してスタート。今では若い女性の流行の情報発信地といわれるように全館、ファッションの店舗が勢ぞろいしている。自己流のアレンジがスタイルを生み自分表現を楽しむという、その新しいパフォーマンスは全国に広がり、渋谷発の流行を“奏でる”ようになった。今ではSHIBUYA「109」と改め、渋谷街のシンボル的な存在となっている。外観は30年たつ今も現役である。

 幾多の変遷を経て環境に呼応しながら、そこから新しい文化が生まれていく。それぞれに個性ある建築物の群れは都市景観の重要な担い手である。その建物と一体になるネーミングはロゴタイプという形に表現され、変わらぬ新しさを発揮する。そしてロゴタイプは都市景観を一層ひきたて、その時代に調和していくものであってほしい。

 さて、都市の景観は地下にも及ぶ。東京の地下鉄は新路線も増えて便利になった。観光立国を目指す日本は外国からの観光客にわかりやすい案内表示が必要となる。道路、鉄道、駅などの案内サイン、誘導サインは誰もが理解しやすいことが重要である。実際、地下鉄の駅名や路線案内などに目を転じると表記が変わった。駅名と併記して始発駅から、英語のイニシャルと番号がついて、例えば、銀座線渋谷駅は「G 01」のようにわかりやすく記号化された。そして、路線別のカラーラインで色分けされて見やすい。さらに多国語表記もされ明解になった。

 このように都市機能は便利で生活しやすいことが肝要で、国内外を問わず人の行動に対応する万国共通の記号やアイソタイプ(絵文字)などの導入が全国の観光地にも必要であり、時代に即応したデザインが望まれる

(上毛新聞 2008.12.28掲載)

 食卓に並ぶ料理、身近な生活用品など、日々の買い物にスーパーマーケットは欠かせない。そこで品選びをする消費者の目は厳しく、産地をはじめ原材料、栄養成分表、賞味期限、販売者などを詳細に見る人が増えている。それは商品の価値を判断し、商品の安全と安心を買うことになるからだ。さらに、最近の産地偽装や虚偽表示のニュースは、消費者の安全と安心への意識を一層高いものにしている。

 一方、スーパーマーケットでは、独自に企画、開発した商品「プライベートブランド」(PB商品)の製造、販売を展開する中で、安全、安心といった「信頼の商品づくり」に取り組んでいる。原材料の厳選、産地名、販売者名などの表示、無駄を省いた価格、環境へのこだわりも消費者の信頼へとつながっていく。

 私は、首都圏を中心とした私鉄系チェーンストアグループが全国の526店舗で販売しているPB商品のパッケージデザインを長年制作してきた。その制作側からの視点でとらえると、商品の質や価値、使い方や利便性など、そして企業姿勢や消費者への対応を表現するパッケージデザインは、販売者と消費者を結ぶ橋渡しになる。

 支持される商品づくりは、厳しい品質管理の中、生産現場での素材チェック、工程管理、衛生管理、検査基準などを経て初めて確かなものになっていく。この商品づくりを、デザイン表現でブランドマークに象徴する。そして、基本理念をスローガンに掲げ、コンセプトに基づきブランドネーミング、カラーやデザインイメージの統一などを図って仕上げる。

 ところで、ブランド創づくりにあたっては、町や村といった地域全体をブランディング(ブランド化)する「地域ブランド」がある。地方の時代となり、地域に財政的な自立が求められ地場産業の魅力づくりが動き始めている。地域の持つ環境などの資産がたとえ豊かであっても、その魅力を積極的に磨き上げる努力が必要となってきた。

 「地域ブランド」は、地域全体の構成がブランドになるため、領域を分けながら完成させることにより、全体が有機的につながり合っていく。観光、商品、そしてそこに住む住民も、時代の変化をとらえてそれに対応していく。地域のブランドネーミングの社会的な評価、評判が高くなった時、地域ブランド全体の水準が押し上げられ、信頼はさらに増幅し、地域ブランドにプレミアムが生まれる。

 このように、地域全体のブランドをいかに創り上げていくかが、元気の出る地域づくりには必要なのではないだろうか。

(上毛新聞 2009年4月25日掲載)

 旅に出てすばらしい景観に出合うと心も和む。しかし、仕事柄、車窓から目に入ってくる看板やサインにはときどき気になるものがある。

 JR中央線のスーパーあずさ号に乗車していたときのことだった。停車した電車からふと窓の外を見ると、ビルの屋上の塔屋サインに、何と私が制作したアイソタイプ(絵文字)がシンボルマークとして堂々と掲げられていた。

 咄嗟(とつさ)に下車した。そこは私の全く知らないブライダル会社の店舗であった。カタログ、パンフレット等をもらい、サイン看板類はカメラに収め、帰社後、自分の原版と照合するとピッタリと一致するではないか。

 私がデザインしたアイソタイプは、依頼主がいて現在使用されているものであるし、文部科学省検定合格の高校用美術教科書(光村図書)、「世界のマーク・シンボル」の集大成(柏書房)などにも作品として掲載されている。

 先方はなぜ無断で使用したのか。尋ねてみると、「自社のシンボルマークとして、見る人を引きつけると思った」とのことであった。掲載本からの無断使用を認めたのであった。

 このことは私に3つの問題点を提示した。1つ目は、このアイソタイプは、発注オーナーに対してデザインしたものであること。2つ目は、掲載本から無断で使用するという安易な制作態度。3つ目は、私に模倣したという逆の疑いがかかること。私はすぐに弁理士に依頼して、解決に至った。このような案件は自社でも既に数件起きている。

 そもそも、シンボルマークは、他のものと区別するための「目印」として使用されたもので、今では企業の固有性を主張するために、造形性や視覚性を考慮した特有のデザインが施され、認知性の高いデザインになっている。

 このようなデザインの保護と同時に、活用を目的とした意匠登録制度がある。この制度は1889(明治22)年2月1日に施行された「意匠条例」に始まる。

 日本での商標登録は企業や商品名を表すロゴマーク、文字、図形など静止画のみである。他方、米国、英国、ドイツ、豪州などでは音声、動画、ホログラムも商標登録されている。そんな中、インターネットや携帯電話などの普及で、日本でも保護の対象を拡大する商標法改正の動きが伝えられている。このように魅力あるデザインは重要な経済資源として活用されているのである。

 私たちが何げなく目にしているものも、それを生み出すために、作家、デザイナーたちは日々格闘している。私たちは著作権、意匠権、商標権という知的財産権について、もっと社会的な見識を深めることが重要なのではないだろうか。

(上毛新聞 2009年6月14日掲載)

 常に新しい情報を発信する街、東京の六本木に、一昨年(2007年)、国立新美術館が誕生した。国内最大級の近代的な美術館で、会場は広く、明るく、ゆったりと作品鑑賞ができると好評である。

 その会場で、秋一番に開催される二科展の中に、デザイン部の全国公募展がある。私は長年その審査に携わってきたが、最近の応募作品の傾向を探ってみた。

 応募作品には、自由な発想と創造性豊かな感性が期待され、既に完成された表現よりも現代的な意欲あふれた作品が歓迎される。

 是座員部は、作品の方向性を定める4つのジャンルに分けられ、審査が行われる。グラフィックアート性の強い自由テーマ部門、イラスト部門、特別テーマ設定の部門、マルチグラフィック部門である。

 最近はコンピューターを駆使したコンピューターグラフィックスは少なくなり、むしろアナログを代表する手描きのイラスト表現や、立体的なオブジェスタイルによる感性を直接表現した作品が目立つ。そこには共感を呼ぶ強さがある。

 展示会場でいらすと対象の受賞者に尋ねたことがあった。その作品は驚くほど緻密な描き込みのイラストで目を見張るものがあった。作者に、感性の筆をどこで止めるのかと聞くと、本人も分からず搬入日まで描き続けたという。驚きである。このような作品には力強いエネルギーがあふれていて見る人を圧倒する。

 以前は作品の中にローカルカラーやその地方ならではの特色ある親しみを覚える作品があった。しかし今はあまり見受けなくなった。それは、インターネット等による情報化の進展で標準化されたように思える。

 特別テーマ設定の部門では、課題の目的性を重視し、時代感覚やグラフィックアート性が問われる。一般応募者も含め会員、会友が同じ課題に向かって挑戦する。作品はバラエティーに富んだ表現で、10人10色の作品が一同に鑑賞できて、とてもおもしろい。

 マルチグラフィック部門では、多様な作品がある中で、静止画なのに、その作品を見ながら人が動くと作品パターンが変化して見えるという、まさに視覚トリックである。

 また、「手で触れて鑑賞できる立体化作品」、「触って聴くポスター」も登場し、実験を試みた。これまでは視覚に障害のある人が美術館で作品を鑑賞することは困難であった。これはテレビでも報道され、一般の人たちにとっても新しい緩衝領域となり、ユニバーサルデザイン、ユニバーサルアートとして多くの方々から賛同をいただいた。

 このような新しい時代の流れの中にあって、現代のデザイン展も変革し始めている。その時代の表現を生み出し、人々に理解され、それを世に伝えていくことは創り手の使命でありロマンであると思う。

(上毛新聞 2009.8.22掲載)

 凜(りん)とした「健康によい」“もと”がここにはある。群馬県の北部に位置する「川場村」である。村は今、田園理想郷を目標とする村づくりに行政と共に村民1人1人が取り組んでいる。「村があなたのために何をしてくれるかを問うのではなく、自分が村のために何ができるかを問う」のである。アメリカの第35代ケネディ大統領の就任演説を思い出す。

 川場村は「水がおいしい」。尾瀬連峰武尊山に降る雨や雪が長い歳月をへて天然水となって村にわき出る名水がある。「澄んだ空気」もある。村の約80%が山林で、山すそを駆けおりる風はまるで森林浴をしているようだ。農産物の品質もよく、温泉もある。そして、豊かな自然環境の田園風景が素晴らしく安らぎを与えてくれる。

 この川場村に、東京の世田谷区から区民の健康村がやってきた。相互協力協定を結んで今年で28年になる。全国52カ所の候補地から川場村が選ばれたという。都市と農山村の交流は、新しい文化を築いて信頼と友情を重ね、高い評価を受けている。

 1985年、川場村では「村づくり」第一次総合計画が策定された。地場産業の開発、経済基盤の拡充、地域の活性化を図るなどの活力ある村づくりが進められた。そのころ、川場村と私の出合いがあり、川場村アイデンティティーのデザインを制作することになった。シンボルマーク、ロゴタイプをはじめ、ショッピングバッグなどが今も使用されている。

 その後、川場村に「田園プラザ川場」が誕生し、村の特産品を一堂に集めた総合複合施設が建設された。プラザ内に有した4つの製造工場、地場産のマーケット、物産館、体験工房などがある。「田園プラザ川場」は家族連れで楽しめるのが好評で、関東の好きな「道の駅」ランキングで4年連続一位である。そして、ここは村の情報発信基地にもなっている。

 川場村は平成の大合併が進行する中、自主自立の道を選択した。住民自治の確立により、自立する川場村の形成を目指し、第三次総合計画が村民参加のもとに作られた。その中に、村民が「住んで良かったと満足できる村」、「人づくりは、村づくりの基本である」とあり、私は共感を覚えた。「自分たちの村は自分たちでつくる」の成果なのか、昨年は村民の受賞や表彰が各方面で相次いだ。川場産コシヒカリの「雪ほたか」は全国コンクールで金賞と特別優秀賞を受賞し、教育面では文部科学大臣表彰などがあった。

 さて、これからは具体的にテーマを絞り込み、宝である資源を十分に生かし、付加価値をプラスして、「川場村ならではの魅力づくり」のさらなる進展を期待したい。楽しみである。

(上毛新聞 2009年2月21日掲載)

 アオザイの、美しい民族衣裳をイメージさせるような、南北に細く長い国土を持ち、ダイナミックに経済成長しているベトナムは、インドシナ半島の東側に位置している。国の広さは日本の九州を除いた面積とほぼ同じである。

 私は、2006年から3回にわたって、ベトナム経済研究所のベトナム視察旅行に同行した。北部のハノイから中央部のダナン、そして南部のホーチミン、山間部のダラットを訪問し、家具製造工場、縫製工場、竹細工工房、花栽培地帯などを見て回った。また、世界遺産の王朝都市フエ、交易都市であったホイアンにも足を延ばした。

 ホイアンは、日本人が架けた由緒ある「来遠橋」が有名で観光客でにぎわっていた。この地の一角に刺繍(ししゅう)工房があり、魅力的な数多くの作品に出合うことができた。制作中の工房見学では、50名ほどの熟練女性が、染色された柔らかな数百本もある絹糸を細やかに、丁寧に、正確に刺すさまは見事であった。

 視察の合間を縫って、画廊などでベトナムのアート作品も鑑賞した。漆画、絹絵、油彩などに目が止まる。その瞬間、多くの作品からなぜか深い親近感を覚え、魅了されてしまった。それらの作品には日本人の琴線に触れるものがあるようだ。ベトナムの人々は日本人と心情的な感覚で共通点をもち、勤勉で器用、そして優雅でしなやかである。

 その文化は、フランスや中国、インドなどさまざまな国の影響を受けながら、それらの文化を学び取り、しかし同化せず、ベトナム本来の特質と独自性に満ちた国民性を基礎に、形成されていった。

 漆画は、ベトナムの代表的な伝統芸術のひとつで、日本の漆工芸とは違い、独特の個性が表現されている。繊細な感覚の中に大胆で力強いエネルギーに満ちた芸術性は、近年、特に日本の人々には深い共感を持って受けとめられている。

 私たちは関係者の配慮により、ハノイの文化庁で国際協力局長と面会することができた。話題は両国の文化財の継承と保護について、現代文化の対応と発展、その流れへと話が弾み、最後に両国の文化交流展の話にまで及んだ。その後、グラフィックデザイン会社の視察に臨んだとき、計画中のデザイン展への日本からの出品の誘いを受けた。

 帰国後、私が窓口となり、選抜した有志で交流展への運びとなった。その作品は、会場のメーンステージに展示され、テレビや新聞等の報道があって、その作品集も出版され好評であった。

 私はこの視察を通し、お互いの文化を知り、共鳴し合うことで、理解を深めていくことの大切さを実感した。グローバル化の中、両国の文化交流がますます発展していくことを願ってやまない。

(上毛新聞 2009年10月11日掲載)

 国民運動にまでなっている日本の食料自給率の向上について最近、ポスターを制作した。タイトルは「日本人のレシピを考える」で、六本木の国立新美術館での展示を終えて全国へ巡回中である。制作にあたって日本の現状を知ると他人ごとではないほど関心が高まる。日ごろ、食事を選ぶとき、ふと食料自給率の話題を意識するようになった。

 日本の食料自給率は年々低下し、現在41%と先進国の中でも最も低い水準であるという。他の先進国の自給率を見ると、イギリス70%、ドイツ84%、フランス122%、アメリカ128%、オーストラリア237%(2003年カロリーベース)である。

 日本も1960年ごろまでは79%であった。その後、数十年の間に、私たちの食生活の大幅な変化が低下の起因となっている。年々、冷凍や加工食品、脂肪分の多い食品が増加している。それらの食品は原材料の多くを輸入に頼り、食料品の60%を占める。

 また、わが国では増産すべき自給農業資源としての水田などが十分に活用されず、耕作放棄地や不作付け地が拡大している。さらに、新興国の人口増加による食糧需要の増大、バイオ燃料需要の急増、異常気象の影響による農業生産の減少など、世界規模での深刻化が予想される中、日本の食料自給率の低下は大変危惧される。

 もし世界の食糧需給が危機に直面したなら、輸出国は自国内の供給を優先し、輸出は抑制することになるだろう。その時、日本は国内生産だけでは国民へ安定した供給はできないだろう。そこで、今、私たちがすべきことは何か、それは、安心して食べられる社会を守ることであり、日本の豊かな食文化を子供たちの世代へ引き継ぎ、食料をめぐる問題を国民の間で共有し合うこと。そして、日本の食料自給率の向上を目指して、自分たちでできることから行動を始めることではないか。そんな考えから食料自給率向上の国民運動「FOODACTION NIPPON」が昨年、始まった。

 この運動の趣旨は、「『いまが旬』の食べ物を選ぶ」「地元でとれる食材を日々の食事に」「ごはんを中心に野菜たっぷりバランスよく食事に」「食べ残しを減らす」― んどみんなの力が必要なのである。「おいしい日本を残す、創る」の実現を目標に2015年までに自給率45%を目指して取り組んでいる。

 さてこのことを実践している川場村を先日訪れた。地元では「地産地消」が徹底され、昨年度の米の品評会では、国際大会で最高賞である金賞に輝いた川場産「雪ほたか」、そして米粉のパンの開発、地元産の野菜などが田園プラザで販売されて人気を集めている。このような村民の人々に食料自給率のアップの行動を今後も応援したい。

(上毛新聞 2009.11.7掲載)